『ウェブ進化論』

Google , amazon , wikipedia , といった最近急激に広まりをみせており、もういつのまにか生活の一部に入りこんでいるシステムがどのような意味を持つものなのか。ロングテール、ブログ、そして議論継続中のWEB2.0を著者の観点からわかりやすく解説された本。


出版からだいぶ遅れて読んだけど、おもしろい。久しぶりに一気読みした。
おそらく自分の育った年代が、パソコンやネットの大衆発展期に被っているから読みやすかったのだと思う。
小さい時からパソコンが身近にあって、青年期にネットが広がりはじめ、Yahoo!livedoor楽天ベンチャーからメジャーへ、2chが隠す存在から暗黙の了解に変わる時代を体験した。ネット世界の「先」が見え始めてしまい、何か閉塞感が拡がっている今二十歳前後の人にはリアルタイムな話だ。
年齢が上の人は、この領域に興味がある人でないとなにがなんだかという状態かもしれない。
年齢が下になると、黎明期を体験していない。Googleamazonなんてあたりまえ。SNSすらあたりまえの世界になる。
これから先大きな変革があるとすれば今十歳ぐらいの人が担う可能性が高いんだって。歴史の周期的に。


自分がなぜ多くのブログサイトの中から「はてな」を選んだのか。なぜwikipediaを使うのか理由がわかった気がする。
著者ははてなに関わってるらしい。そんなことは知らずにはてなを使ってたんだけど。なにか同じにおいを感じたんだろう。
よく記事にwikipediaのリンクを載せるのも理由がある。wikiを毛嫌いする人は多いけど、その理由は内容の信憑性だと思われる。確かに本などの出版物のような正確性は出せないかもしれないが、wikipediaには「真実、事実にたどり着こう。事象すべてをテキスト化してやる。」という意志を感じる。私はその心を買っている。
新聞やテレビのようなマスメディアのパッケージされた情報は、送信側に信頼をおいてしまえば情報の選別する作業をしなくてすむので楽ではあるが、その後の情報の発展性は少ない。世間話の種になるだけだ。
旧来の発信側でなく受信側がリテラシーをもって能動的に情報を検索・選別するようになり関わる総数が多くなれば自然と情報の淘汰が行われるはずだと考える。リテラシーをもつ、ってのが大変なところだけど。


情報の「囲い込み」から「共有」へ。これもおおいに共感した。
個人のモチベーション・能力が高いなら、情報を公開して共有したほうが効率がよい。情報を隠蔽、組織構成を優先させると無駄な衝突や折衝が増える。「何を知ってるか」で能力を決めるのではない。「発想し、いかに洗練させられるか」が能力基準となる。
承認作業の多い組織体系は効率が悪いし、めんどくさい。


参考
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/03/30_075245.html



私は嘘をつかないし情報を公開する。
嘘は何も失わないけど何も得られない。
情報を溜め込むより、他の人の楽しみや役にたつことが情報の有効な用途だと思っている。
知識は共有してなんぼ。
受信ばっかりじゃなく発信していこうぜ。
その環境は整ってるんだから。


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