レビュー 『奥浩哉 短編集 赤/黒』

「奥・・・あ〜『GANTZ』の人ねっ、あの作品あんまり好きじゃないんだよなぁ、長くて。でも乳描くのはうまいよね」
この漫画家作品にとくに思い入れが無い人の印象はだいたいこんなものじゃないでしょうか。
連載中のマンガは多少なりとも溜めや演出(もしくは引き伸ばす)のために、コマを無駄に大きく使うカットが生まれやすい。気楽に読んでいる者にとっては、大事なシーンは大きなコマ、そうでもないシーンは小さなコマ、と単純化して理解できるしスケールを大きく見せるためにも便利なんだけれども、コマを大きく使う技法を乱発されると読者も混乱しちゃうし白けてしまう。私が『GANTZ』にハマらなかったのはこれが要因かな。まぁこの際、設定がどうのこうのいうのは無粋というものでしょう。好き嫌いというコトで。
一方、短編という形式ではあらかじめページ数が決まっている。そこにある程度の長さと強さ、それにオチまで展開させなければならないのだから、当然のように冗長的描写は省かれ、コマは小さくなり、展開が早くなるわけです。「同じ漫画家なのにこんなに違うものが生まれるかね。」そう思わせるくらい、形式が異なるということは思考過程や制作・展開方法に影響し規定する。だから短編集というものは大型連載の縮小版ではありえなく、より濃密なものになりやすい。
少年誌を中心に「連載をリアルタイムで読んでいること」に意味を見出し始めてる作品(読者も)が増加傾向であるのに対し、今現在、絶賛連載中の長期作品が連載終了後にどのような評価が下るのか、売上部数のみではなく歴史的な資料性・作品性を含めた場合、はたして。
それぞれに魅力はあるけれど、短時間で読める、集めやすい、なによりその漫画家の力量が如実に表れるという意味では「短編集」に分があるんじゃなかろうか。アーカイブ性も高いしね。
短編集では大型連載とは異なった様々な物語や画風が見られるのも嬉しい。『GANTZ』に至るまでいろいろやってるんだぁと感心しますよ、きっと(個別の話は以下で詳述)。


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奥浩哉短編集 赤 1 (奥浩哉短編集) (ヤングジャンプコミックス)

奥浩哉短編集 赤 1 (奥浩哉短編集) (ヤングジャンプコミックス)

「好」7編・「嫌」3編・「糸」・「雑」・「熱」
「好」「嫌」は同性愛を扱った作品。といってもヘヴィでドロドロした恋愛じゃなく可愛くポップな描写。普段はクール/ビューティな奴が、よく見ると実はカワイイ系にときめいちゃって、二人きりの時はキャラが変わっちゃうという構図は一緒。これは現在で言えばツンデレにあてはまるだろうか。
「嫌」の設定がなかなかおもしろい。
ケンカが強くてさらにカッコイイ鈴木(男)は華奢カワイイが芯の通った佐藤(男)に恋をしてしまう。そしてさらに、佐藤にそっくりで精神は男?だが男になりきれない小夜(女)が登場する。鈴木は佐藤と小夜の間で揺れるというストーリー。
見た目が一緒で性格も一緒だったら異性を選ぶんだろうけど、もし見た目は一緒だが性格や中味の好みが同性の方だったとしたら?これはアリなんだろうか?
社会通念上とか常識で考えたらそもそもそんな状況「ねーよw」なんだろうけど、if の世界を楽しむのがマンガですから。


  おもしろかった「嫌」の一節


  小夜「・・・あのね・・・・・・おい・・・」
  小夜「・・・・・・あ・・・」
  鈴木「なんで拒まないんだ・・・・・・気持ち悪ィ奴だな・・・」
  小夜「・・・・・・え?・・・」
  小夜「自分からしてきたくせにっ!! なんだよっ このホモっ」


関係性を 攻め/受け で分ければ鈴木は追いかけるのが好きな攻めだった。だから拒んでくれる佐藤が好きで、拒まない小夜は物足りなく感じてしまうわけ。無いものねだりは悲しいね。
鈴木みたいな人はリアルでも割と多いんじゃないだろうか。追ってる時は燃え上がっているが、追われる立場になると途端に醒めてしまうパターン。「同性愛」というと突飛なテーマのように見えるが、こういうコミカルだが細かい描写で共感・感心させて作品をちゃんと地に足付けているところがうまい。
難を言えば服装かな、制服を描いてる時は目立たないんだけど私服がモロに90年代だからさすがに古く見えてしまうよ。アニメにせよゲームにせよ、カッコイイ/カワイイ服が描けるかどうかは結構重要なポイントだと思う。ここでズレてしまうとマンガと読者の心理的距離が開いててしまうことにもなりかねないから。でも漫画家が全部やるのは限界があるよなぁ、実物をデッサンするにしても服のチョイスにはセンスが要るだろうし。服が良いマンガは外注とかしてるんだろうか。
あと、この漫画家は都市的な背景を描くことが多いんだけど「糸」は舞台が山間部に行ったりして結構新鮮に感じられた。ハッピーエンド?だし、こういう素朴な感じもいいね。

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奥浩哉短編集 黒 2 (奥浩哉短編集) (ヤングジャンプコミックス)

奥浩哉短編集 黒 2 (奥浩哉短編集) (ヤングジャンプコミックス)

「黒」5編・「缶」・「へん」4編・「宿」2編・「変」・観察日記

「黒」はヴァイオレンス路線。映画『ダイ・ハード』の影響を受けてるらしいっすね。走ってる電車から突き落とされる、膝の裏を刺される、肘関節を撃たれる、作者はこういう文字にするだけでも嫌〜なカンジの傷み方を発想して画にするのがうまい。
普通のアクションマンガの暴力は打撲系の傷み方がほとんどで、顔やボディを叩かれたとしてもそれは日常的な暴力イメージを喚起するに止まるためにそんなに「うわ〜痛そう・・・」とは思わない。なかには急所を容赦なく攻めるアクションマンガもあるけど、それはテーマが既に総合格闘を志向している為に読者もある程度覚悟して読めるわけ。目潰し、仏骨を突く、人中に一本拳を叩き込む、こういった格闘用語を混ぜるだけであら不思議、嫌なカンジが抜けていくでしょ。急所破壊は格闘技という人体破壊術の英知が詰まった、ある種の高尚さを伴うんですね。しかもこれらは格闘家同士が対峙した時に使われるものであって一般市民が被ることはない。こういった暴力の指向性についての前提と合意があるからこそ読者は痛がらずに読める。奥浩哉はその暗黙の了解を堂々と踏みにじるから読者は嫌〜な感じになり痛がることができるわけ(褒めてます)。
「へん」は粘膜感染する性転換症状の物語。男だった鳥合は発病者からその病気をうつされて女になってしまう。大本(男)は鳥合に一目惚れするが、そこに鳥合が好きだった長崎(女)が絡んでくるというお話。
  

  その一節


  長崎「(電話)うん うん 10時には着くから うん」
  大本「10時前に・・・・・・帰っちゃうんだ・・・」
  長崎「あたし・・・・・・軽くないから」
  大本「・・・・・・・・・」
  長崎「・・・・・・・・・」


画がないんで表情が伝わらないかとは思うが「・・・」でこれだけ含蓄ある時間と空間、そして沈黙という言葉を表現しているのが素晴らしいね。沈黙に対して言葉で返すのではなく沈黙で返す、いや返す言葉が無い。
国語の先生のように「ハイ、ではこの・・・・・・に適切な言葉を入れてみましょう。」なんて問いが如何にナンセンスでマヌケなことかこの一節だけで分かります。言葉が無いから・・・・・・なのです。それだけです。登場人物は確実にある感情に基づいて沈黙しているわけですが、読者にとって正解はありません。おそらく・・・・・・に何が込められているかを考える行為は、考えている本人を映す鏡の作用があるでしょう。他の読者に聞いてみたいものです。
あと「へん」での大本もそうだけど、特に「観察日記」楠田(男)の眼の描き方。目頭まで強調した人形のような目、そしてグロテスクなまでに詳細に描写された耳。「狂気」「威圧」「ヤバイ」といった情況を一つの画で効率的に表現している。
冴木(女)の描き方はもはや『GANTZ』そのもので、極端なほどに顔の下部に集中したパーツ、卵型の輪郭に前髪パッツン。この話で美人キャラと狂気キャラ制作の方法論が既に確立している。
ストーリーは拉致監禁系の話でストックホルム症候群と記憶を扱ったもの。精神というものがいかに脆く、簡単に崩壊してしまうのか。本人たちが幸せそうに微笑んでいればいるほど、第三者である読者には強烈な違和として深く印象付けられる。またその状況から抜け出せたとして、第三者の正義感は満たせるだろうがはたして本人にとっての幸福だといえるのか。記憶の封印、忘却という無意識の行為が前向きな推進力として描かれるのに対して、観察日記というデータとしての記録がその足枷として描かれている。
陳腐な言い方だけど、事実をそのまま真実にする必要は無い。都合が悪ければ忘れてしまえばいいよ。読む人にとってはキツイかもしれないんで、そういった類の話に耐性が無い人は飛ばして読んだ方がいいかもしれないです。