親子

親が来る。
掃除をしにくる、という名目で顔を見に来たんだろう。
親の仕事は「心配すること」らしい。
本人が言っていた。
無条件で心配してくれる存在は親ぐらいじゃないか。
厭味でなしに、ありがたいことだと思う。


ウチは基本的に放任だ。
責任放棄という意味ではなく、強制力が弱い。
自分のやりたいようにやれ、でも親としてはこうあってくれると安心、程度。
それって矛盾してるジャン?と疎ましく思うこともあるけれど。
ガチガチのレールを敷かれるのに比べれば優しいものだ。
ずっとそんなテンションだったからか、反抗期というものを体験していない。
親子同士、過度の干渉を避けてきたからかな。
良かったのか悪かったのか。


考えてみれば、私は親のことを何も知らない。
親が親になる前を知らない。
家庭以外での姿を知らない。
どんな仕事をしてきて、どうゆうふうに出会って、どういうふうに子供をみてきたのか。
薄っすらそんな話を聞くことがあっても、自分からは聞かなかった。
聞く理由、というか動機がなかった。
聞かなくても親は親だし、いつでも聞けるし、と思っていた。
それに、親以外の姿を見るのが怖かったのかもしれない。


最近、親を見る目が「親」から「個人」へとシフトしつつあるように感じる。
親子が離れて暮らす年月を重ねたせいだろうか。
お互いに、自分の生活スタイルができたからか。
でも、いつまでたっても親は親。
「孝行するとき親は無し」
親の衰えを目の当たりにすると、自然とそんな言葉が浮かぶ。
これからは、もっといろんな話をしようと思った。


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