「音楽は、決して人から奪えない」

人は、二十歳前後までに聴いた音楽をそれ以降も聴き続けるという。
頭が硬くなり始めるのが二十歳ってことなのか。
アーティストと共に、ファンも一緒に年をとる。
曲を提供し続ければ、固定客がそれを聴く。
〜を聴いて育った、というのはその人の構成要素として大きい。
「〜を聴く私」がアイデンティティ、もしくはステータスになりうる。
最近では、自分含め「聴くジャンルを限定しない」ジャンル、に所属する人が増えている気がする。
この状態が普通なんだろうな。
シングル一曲でミリオンセラーの時代が懐かしい。


mixiにおいて「mixiミュージック」が始まるそうだ。
音楽リストを公開、コメントをつけるシステムらしい。
ニュース文を見る限り、「楽曲」をアップロードではなく、あくまで「楽曲情報」のアップと読める。
このページにもある音ログのシステムと同じっぽい。
実際に楽曲を聴けなければ、コメントのしようもない気がするが。
「私とこの人は聴く音楽が似てるなぁ〜」と親近感が湧けばよい、ということか。
まぁ、その人を理解する手がかりにはなるか。


音でつながることを目的に使うのか、自分の聴いている音楽をステータスとして晒すことを目的にするのか。
私の音ログの場合、どちらでもある。
メジャーな曲目で検索しても、母数が多くて同じ嗜好性をもつ人を抽出しにくい。
逆に言えば、マイナーな曲をあえて晒せば抽出できる。
その人のページにいって、自分の知らないアーティストの曲を試聴、気に入れば購入、という人とお金の流れが想定されていると思われる。
音ログの総ユーザーがどのくらいか知らないが、オンラインユーザーはピーク時でも500人いってない。
mixiミュージック始まったら、一気に人が流れるかも知れない。
どちらにしても、Amazonが稼ぐことになりそうだ。


これらはますます嗜好性でのみつながる傾向を助長するシステムではある。
同じ共通点をアップしていなければ、出会うことすらできない。
ランダムジャンプを使うことは稀だ。
ネット自体の特性として「嗜好性でつながるシステム」が内包されているから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。
裏を返せば「切り捨て」とも解釈できる。
自分と似ている人とのみ、つながる。
居心地良いにはいいけど、なにかひっかかる。
この気持ち悪さは何だろう。


音楽 - Wikipedia

http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/504884.html

Napster - Wikipedia


どうでもいいけど、「瀬戸内寂聴」って響きはラップっぽいと思う。
Yo,Yo,SeToUChi JyakuCho.


瀬戸内寂聴 - Wikipedia