君は刻の涙をみる…

ファンキー通信 - ライブドアニュース


マンガを読めない人が居るそうだ。
実際には極少数だと思うけど。
たしかにマンガの読み方は教わらない。
自分もいつから読めるようになったっけ、憶えていない。
昔は子供がマンガを読むことがメインカルチャーであったと思う。
少年ジャンプを読んでいないと話についていけないという感じに。
現在は少年誌が求心力を失い、紙媒体にも触れる機会が少ないから、読む必然性が無くなったってことだろうか。


マンガも絵画に含まれる、と考える。
何が表現されているのか、それを読み解くための技法があるからだ。
マンガを読めない、ということは読み解く技法があることの裏返し。
この「絵画」を見る上で、西洋と日本の文化の違いを語ることを避けて通れない。
日本でマンガ・アニメが発達したのは偶然ではないだろう。
やまと絵に起源があるように思う。


西洋では、描写する者の視点からすべてが描かれている。
平面のキャンバスに、いかにして立体・奥行きを写実に表現するか。
一瞬を切り取る「写真」を目指していた、と言ってもよいだろう。
その過程に遠近法が編み出された。
自分の見ている世界を忠実に再現することが命題とされていた。
複数の視点を平面上に表現したピカソの評価が分かれたのも、これらのせいだと思う。
西洋アニメは現実を忠実に再現することを目指しているように見える。
ディズニーに代表されるように、一秒間のコマ数が多く、実際にカメラが存在するように撮っていることを再現しようとしている。
しかしそれを見ていると、ストップモーションを見ている感覚に襲われる。
アニメにおける現実の模倣は、あくまで人形劇の域だ。
わざわざアニメにする必要性がない。
「アニメで現実感をだす」と「アニメにおけるリアリティ」は違う。
現実と違うことがすなわち「アニメらしい」ことであるといえる。


やまと絵は、視点を限定せずに平面の位置関係によって奥行き、そして時間までも表現した。
描かれている絵は止まっているにもかかわらず、絵の見方、読み解く技法をつくることで、二次元から三次元への変換を可能にした。
技法によって奥行き、時間を表現する点は日本マンガに受け継がれている。
一定の視点で「写真」をめくるのではなく、カメラワークを固定せずに変化させることで、臨場感をだす。
マンガを読み解く技法があることによって、読者の自発性と想像性を喚起する。
読者は作品に自ら歩み寄ることで、作品を傍観するのではなく、作品に参加する。
制作費用削減のためセル画枚数を抜いた作品『機動戦士ガンダム』の制作技法は後のアニメのスタンダードとなった。
また、戦争と人間を描いた重厚なテーマは視聴者の年代を問わなかった。
「アニメは子供のもの」「アニメで現実感をだそう」とする西洋アニメに対する違和感は、ここからきているのかもしれない。


http://homepage2.nifty.com/photocell/enkin4.html



マンガとアニメを分かつ枠は無くなりつつある。
アニメがアニメであることを自覚し、だったら何でもアリじゃん、とイイ意味で開き直って、貪欲に新しい技法を作りだそうとしている作品。
  『味楽る!ミミカ
なぜか見入ってしまう。


味楽る!ミミカ - Wikipedia