偽薬

最近の朝食はチョコパフィだ。
時間をとらずに食べられるし、朝にあの甘ったるさは脳に効く。
シリアル系を食べるには、ふやかせるための牛乳が必要だ。
しかし、一人暮らしにとって牛乳の保存は難しい。
よほどの牛乳好きでないかぎり、
標準の1ℓ紙パックをすべて消費せずにタイムアップ。
賞味期限切れ。
また、紙パックに入れたままの保存は、紙のにおいが牛乳に移ってしまう。

牛乳のにおいだと思っているあのにおい、実は紙パックのにおいらしい。
加工はされているものの、においの移動は防ぎきれない。

どうしたものか。


シリアル食品 - Wikipedia
牛乳 - Wikipedia
http://www.tetrapak.co.jp/QA/guide.html



たまたま雑貨店でみつけた焼き物。


http://www.dab.hi-ho.ne.jp/boss-takeuti/newpage297.html


「素材にラジウム鉱を含み、マイナスイオン効果により水・酒などの味がまろやかに。」
・・・あやしい。
本当に効果があるのか、と、思いつつも購入。
これは気持ちの問題だ。
本人が「効果がある」と思えば効果はあるのだ。
プラシーボ効果
これから先、ずっと牛乳の紙パックのにおいを気にする煩わしさを
二千円で解消できるならいい買い物といえるだろう。


信楽焼 - Wikipedia


偽薬 - Wikipedia



これを買った雑貨店、小洒落た感じでメインのお客さんは若年マダム層っぽい。
居づらかった。
そんな中で、お客さん同士の会話が聞こえてきて、なんともいえないやるせなさを感じた。
「あの家は高価なスリッパがあるのに、そのソール(接地面)がぜんぜん汚くなっていない。 そんなセレブ気分・・・・がどうのこうの・・・」
なんか、下世話というか、小さいなぁ〜、と思った。


これは、ヴィトンのバックを持った女子高生を見たときの感覚と似ている。
本当にそのモノが好きで持っている人が大半だとは思うが。
自分の価値基準をもっていない感じ。
ステータスとしてのモノ。
自分の目で見て考えて「良い物」を判別する自信がないのか。
本来ブランドとは、職人や企業の理念に共感した消費者がモノを購入することで、自然発生的に生まれたものだったはずだ。
そこには人とモノとの間に物語がある。
しかし現在、本当にそのモノが好きで購入する人が埋もれてしまうほどの、特に日本で蔓延する物語りなきネームバリューのブランド志向。
国内のみならず、海外に行ってブランド品を買い漁るあさましさ。
自分の信念や価値基準をもっていれば、他人の価値基準をどうのこうの言わないと思う。
「これをもっているからカワイイ、これを知っているからカッコイイ」
「これをもっていないからダメ、これを知らないからダメ」
モノにステータスを求めると、他人の価値基準に対して排他的になる。
それは本当に自分で考えた末の判断なのか。
自分でやるべき貴賎、善悪、選別の判断責任を、存在が朧な社会や世間に転嫁したものではないのか。


オシャレだから、洒落た店に来るのか。
洒落た店に来ることがオシャレなのか。
オシャレだと思われたいから、オシャレっぽいとされる店に来るのか。
自ら偽薬を飲み、飲んだことを忘れているかのような感覚だ。