糸冬

W杯が終わってしまった。
これから何を楽しみにしていこうか・・・。
いつもやってた寸評をやる気力もない。



マテラッツィ、空気読め。
お前のファウルでPK献上。
お前のヘッドで1点返す。
お前の野次でジダン退場。
なんだそれ。
お前は主役じゃない。
ジダンのための試合、という暗黙の了解。
しかし、ジダンも主役ではない。
なぜなら、誰もが主役であるからだ。


サッカーは平等だ。
国や人種を問わず、ボール一つあればサッカーができる。
それゆえに、全世界の頂点を決めるW杯を開催することができる。
この大舞台の意味は勝ち負けだけではない。
国と個人の、威信、歴史、プライド、世代交代のドラマだ。
それぞれに背負うものがあり、全存在をかけて戦う。
その姿勢は、互いを高め、時に限界を超える。
そこに感動がある。
この決勝戦は、ブラウン管を通してみる者の感情を揺さぶるほどの好試合だった。
それがジダンの退場で終わってしまった。
一部報道によると、マテラッツィは差別・侮辱発言をしたらしい。
彼は、サッカーを穢した。


言葉を罰することはできないのだろうか。
言葉は暴力に含まれる。
言葉は時に、物理的暴力以上の痕を残す。
一方的に暴力を振るわれて、我慢する必要があるだろうか。

一生この出来事を背負うジダン
居た堪れない。
これで終わってしまうのか・・・。