ムーディ勝山ブームにみる一億総芸人化現象

ムーディ勝山がブームのようである。
なぜウケるのか。
今回はボケとツッコミという観点から検証してみたい。


みればわかるが、これを演じている彼はピンである。
ピンのタイプを大別してみよう。


1、あるある突っ込みネタ (ex. 青木さやかだいたひかる、にしおかすみこ)
  当然のこととされていたりあえて触れられない社会のおかしな点を指摘。ネタ内ではそれを個人的体験に縮約させ個人的な「毒舌」として芸とする。いわば1人でボケとツッコミをやる自己完結型。なぜか女性芸人に多い。 



2、デフォルメされたキャラクターネタ (ex. 友近なだぎ武
  主にモデルが存在するパロディ。日常ではスルーしてしまっている事柄を、舞台上で再現することによってそのおかしさを観客に気づかせる再発見芸。いわばネタ=ボケ、芸人=ツッコミの完結型。いいか悪いかは別としてR−1の潮流。


3、型崩しネタ (ex. バカリズムムーディ勝山
  ツッコミの不在。旧来、ネタをやっている芸人自身は程度の差こそあれ「中立的常識人」としてネタと相対化されていたが、型崩しネタでは「わけわからないネタをやっている芸人」がネタに内包される。この時点でネタは着地点を見つけられないが、観客による個々のツッコミにより笑いを生む。


ここでいう「個々のツッコミ」とは、昔ながらの「なんでやねん!」に限らず「わけわかんねーw」、「なんだこれw」、「だから何を受け流すんだよw」というような多様なものを指す。
個々のツッコミ内容にともなう笑いの点は異なるが、ムーディ勝山の話題が発せられる時には「あれっておもしろいよね」という単純な内容に約される。
結果、おもしろい派とおもしろくない派の二元論になり、それぞれは内輪で盛り上がるのだ。
多様な解釈が可能な事柄は、単純な事柄として再構築されて「祭りのネタ」になりやすい。


「型崩し」と名づけたとおり、そこには「型」が前提に存在する。
観客の参加により笑いを起こす「型崩し」に対し、観客は適応しツッコミを入れた。
これは観客が旧来の「型」の存在を捉えていなければ成立しない共犯関係である。
ボケとツッコミという「型」に対する観客の経験値が実践されるほどに高まった、ということだろう。

また、ムーディ勝山がブレイクした番組が『ガキの使い』の対芸人戦であったこと、バカリズムが評価されたのが『R−1』を観た松本人志であったことは象徴的である。
芸人を評価するのが芸人自身になってきたのだ。
芸人の芸に対しツッコむ、芸人同士の評価の動きに視聴者側が連動する、ボケとツッコミが日常的会話に浸透し実践されている。
これは「一億総芸人化」といえるのではないだろうか。


ムーディ勝山 - Wikipedia
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