キラッ☆

前者(奇数番)が秋元康、後者(偶数番)が松本隆


小泉今日子
1、なんてったってアイドル
2、水のルージュ


本田美奈子
1、1986年のマリリン
2、Temptation(誘惑)


wink
1、いつまでも好きでいたくて
2、One Night In Heaven 〜 真夜中のエンジェル


柴咲コウ
1、いくつかの空
中谷美紀
2、いばらの冠


中島美嘉
1、STARS
2、CRESCENT MOON


野猿 feat. CA
1、First impression
ランカ・リー=中島愛
2、星間飛行




やはり、両者の作詞には明確なスタイルの違いがある(ように思われる)。
言葉のチョイス云々というよりは作詞哲学が違うのだろう。
秋元は、言葉の意味よりもその響きが如何に曲と合うかどうかを焦点とするメロディありきのスタイル。
曲と声の落差をつくらないので声が曲に埋まっているイメージだ。
一方の松本は、詞と曲をシンクロさせるのではなくあえて落差をつくっており曲と声が独立している。
詞の意味内容自体は強くないにもかかわらず言葉に存在感があるのはこのためか。
両者はその特徴から、秋元は子音系の発音を得意とする歌手、松本は母音系の発音を得意とする歌手と相性が良い。
これは中島美嘉の楽曲を比較すると顕著で、楽曲『STARS』や『WILL』では中島のハスキーな子音系発音の声質と秋元の制作スタイルが適合しているが、松本作詞の『CRESCENT MOON』では歌詞の存在感と曲のメロディが殺しあってしまう。
さらに両者には決定的違いとして、その詞は誰に向かって発せられたものなのか、がある。
秋元の詞は、「愛しさ」や「切なさ」といった余白の多い心情を直接歌詞に盛り込む。
だがそれは他者に自身の心情を吐露しているわけではなく、その言葉たちが向かう先は自分自身だ。
私は今こういう心境である、それにどう向き合うのか、その確認作業という現代J-POP恋愛詞のカタチをとっている。
おニャン子クラブの楽曲のようにモロに歌謡曲を創っていた時期もあったが、時勢を読む力に長ける秋元にとって作詞スタイルを変化させていくことは容易だっただろう。
松本の歌詞は、直接的だが実は曖昧な「愛しさ」「切なさ」といった言葉を選ばない。
「あなた」「わたし」という人称はむしろ多く使われているが、後に続く言葉は比喩表現を用いたり物を積極的に登場させており、歌詞物語世界にいる登場人物が「詩」として詠んだものが詞となっている。
自己完結した言葉は他者を疎外し聴き手を突き放してしまうが、芸術として独立した言葉はむしろ聴き手を言葉に惹き付ける。
例え愛を詠むにしても、自身に酔ったりその世界にどっぷり浸かることがなく、聴き手を疎外しない。
この差が語彙力の違いから来るものなのか、制作スタイルの差なのかは不明だが、一つ言えることは秋元の詞がマクロスの歌になることはありえないということだ。
不安定な言葉は他者を疎外し不安にさせる。
強度の無い言葉は他者に響かない。
強度の無い現代においては、歌謡曲チックであるからこそ「楽しさ」や「安心感」を抱かせることができるのだろう。
歌が物語のキーとなる作品において、歌がダメでは元も子もない。
この歌が作品の評価を牽引していることは確かだ。